2025/08/21

三位一体と諸法無我

三位一体は、実体として一つだが、見え方、働き方が違う位格が3つある。ということではない。その考えは異端とされる。
違う位格の間の関係が重要。実体として一つという考え方だと、関係が失われる。
神とイエスの間の関係は、神と人間の関係、自分と隣人との関係にも通じる。その関係を正しくすることが大切。正しい関係とは、愛し愛されるという関係。一緒に生きるいう関係。

仏教の諸法無我の考えでは、全ての事物は関連していて独立した実体ではない。
その考えを敢えて三位一体に当てはめるとこうなる。3つの位格は別のものだが、関連して存在しているのでその意味では一つになっている。

2025/08/20

永遠の命と涅槃

キリスト教では、人格は無くならない。死によって一旦人格は無くなるが、最後の審判で生きていた時と同一人格で蘇る。そして審判で赦されれば神の国で神と一緒に永遠に生きる。それがキリスト教での最終的な救済。

仏教での涅槃とは、人格が無くなること、永遠の死。それが仏教の救い。こういう考えが初期の仏教にはあるだろう。
仏教の感覚からみると、永遠に今の人格、自意識を持って生きるのはきつい、と思う。

愛と慈悲

キリスト教での愛は、異なる人格の間の関係としての愛。父とイエスの間にも愛の関係がある。なので、父とイエスは同一ではない。三位一体の解釈として、各位格の実体は一つで、見え方や働きが違う位格が3つあるという考えは異端とされる。
関係が重要で、その関係は異なる存在の間で成り立つという考え。

仏教での慈悲は、自分と相手が繋がっているという実感からくるのでは。縁起により各存在が関連していて独立した実体としては存在しない。その意味では世界は一つなのだという考え=諸法無我。その考えでは、自分と相手が異なる存在であるという面より、全体として一体であるという面の方が強調される。

2025/08/15

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