2016/10/19

かすかな感覚を感じることで、空間としての意識を意識する

思考・感情・感覚の背景にある、意識を意識する。意識を意識することを楽しむ。それが瞑想の本質だと思う。
龍安寺の石庭には、ほとんど何もない。なのでその庭を見たとき、何もない空間としての意識を意識するきっかけになる。しかし全く何もないわけではなく、岩がちょっと置いてある。全く何もないより、隠し味のようにかすかに何かがあったほうが、かえって意識を意識しやすい。全くなにもないと、かえって雑念が出てきて、その雑念の中に埋もれてしまう場合もある。
かすかな感覚を感じることで、その感覚の前景にある空間としての意識を意識する。一般的な瞑想で、呼吸を意識するのも同じ理由だろう。
アンビエント音楽も、起伏などが何もないものの、音楽なので音は鳴っている。完全な無音より、かすかに音があったほうが、かえって意識を意識しやすい。
隠者は俗世間から離れた孤独な生活を好む。そのシンプルな起伏のない生活の中で、空間としての意識を意識することを楽しむ。