仏教には諸行無常、諸法無我という概念がある。
時間的に見ると、縁起(原因と結果の連鎖)によって諸法が関連し、変化していく。仏教でいう諸行無常。空間的に見ると、諸法(全ての事物)が相互に関連していて全体として一体になっていて、独立した実体はない。仏教でいう諸法無我。
「自分」が確固とした実体として存在しているという自我の感覚。それを上記の命題に当てはめると次のようになる。
「自分」が確固とした実体として存在しているという自我の感覚。それを上記の命題に当てはめると次のようになる。
時間的に見ると、「昔の自分」から「今の自分」へ変化していて、同一ではない。「昔の自分」と「今の自分」が同一だという感覚は、脳の働き。実際にあるのは、原因と結果の連鎖によって「昔の自分」が「今の自分」に変化したという事実だけ。
空間的に見ると、「自分」は世界と一体なので、独立した実体としての「自分」はない。独立した実体としての「自分」があるという感覚は、脳の働き。
空間的に見ると、「自分」は世界と一体なので、独立した実体としての「自分」はない。独立した実体としての「自分」があるという感覚は、脳の働き。
このように自我の感覚は脳の働きにすぎず、実態とは異なっている。その自我の感覚自体も、諸法の関連から起こっている現象だ。自我の感覚が生まれる大きな要因は、大脳新皮質の存在だろう。その大脳も独立した実体ではない。脳は食物から摂ったたんぱく質でできているのだから、環境=世界とつながっている。
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