人を嫌うとき、自分のエゴが働いている。嫌いな人の幸福を祈るのは抵抗がある。エゴが抵抗がするからだ。エゴが抵抗することを敢えてする。それにより、今までのエゴの働きのパターンが変わる。
祈るとき、祈りの対象の人を大切に思っている。大切に思わなければ祈れないからだ。なので、祈っている間は嫌いな人のことを大切に思っている。
マタイ5:44敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
ファリサイ派は戒律を守る。それは最初は神への信頼と愛を伴っていた。時間が経つに従って、戒律を守ることだけが大切になり、愛は二の次になった。イエスはそこを批判して、戒律を守ることより愛を優先することを説いた。その批判のアナロジーで、様々な行動規範について考えることができる。