ファリサイ派は戒律を守る。それは最初は神への信頼と愛を伴っていた。時間が経つに従って、戒律を守ることだけが大切になり、愛は二の次になった。イエスはそこを批判して、戒律を守ることより愛を優先することを説いた。その批判のアナロジーで、様々な行動規範について考えることができる。
挨拶
挨拶するという礼儀も行動規範。パートの仕事でお客さんに挨拶する。その時、義務的な挨拶になってしまう。目があって、挨拶しないと自分が失礼に思われる。挨拶しないとクレームを入れられる。など、まず自分のことを考えて挨拶している。そこにも自分が大切という自己愛はある。しかし相手に対する隣人愛が挨拶に込められていれば、素晴らしい挨拶になるだろう。
世間教
世間教とは、世間並みに生きなければならないという行動規範を持つ宗教。例えば、いい学校に入っていい会社に行くのが一番いいと思って子供にそういう生き方を押し付ける親がいる。その行いは、子どもを大切に思う気持ちから出てくる。元には子どもに対する愛がある。しかし、生きていくうちに行動規範を守らせることが愛より優先されてしまう場合もある。
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