怒りと悲しみは、表裏一体だと思う。悲しみは、主に被害者意識ではないか。被害者意識には「自分がxxされた」というエゴ(「自分が」という感覚を伴う感情)が入っている。被害者意識は「xxされた」という受動的でネガティブな感情なので、それは人間を弱くする。被害者意識を強く感じる人は弱い面がある。また怒りも強く感じる。
2021/11/19
被害者意識と「戦士の気持ち」
カルロス・カスタネダ「イクストランへの旅」の「戦士の気持ち」の章を読んでの感想。
嫌な人は、自分に対して嫌なことをやってくる。しかし例えばライオンに襲われたとしよう。そのとき、ライオンは自分に対して嫌なことをしている。しかし「危険なライオンだ」とは思うだろうが、「嫌なライオンだ」とは思わないだろう。嫌な人に対しても、そう感じることは可能なのではないか。「危険なライオンだ」と思う時は、相手の属性を認識しているだけだ。対して「嫌な人だ」という思う時は、被害者意識がある。 「自分が」相手から嫌なことをされたというエゴ(「自分が」という感覚を伴う感情)がある。「人からxxされた」という、受け身のネガティブな感情である。 その感情は人を弱くする。
嫌な人は嫌な行動をとる思考・感情のパターンをもっている。それは、その人の脳の状態が原因である。嫌な人はそのような脳をもっているという現実がある。その現実を認識し、判断し、決断し、実行することだけが重要なことだ。 それは嫌な人に対処するとき以外にも、生きていく上で対処しなければいけない状況全てについていえる。
嫌な人は、自分に対して嫌なことをやってくる。しかし例えばライオンに襲われたとしよう。そのとき、ライオンは自分に対して嫌なことをしている。しかし「危険なライオンだ」とは思うだろうが、「嫌なライオンだ」とは思わないだろう。嫌な人に対しても、そう感じることは可能なのではないか。「危険なライオンだ」と思う時は、相手の属性を認識しているだけだ。対して「嫌な人だ」という思う時は、被害者意識がある。 「自分が」相手から嫌なことをされたというエゴ(「自分が」という感覚を伴う感情)がある。「人からxxされた」という、受け身のネガティブな感情である。 その感情は人を弱くする。
嫌な人は嫌な行動をとる思考・感情のパターンをもっている。それは、その人の脳の状態が原因である。嫌な人はそのような脳をもっているという現実がある。その現実を認識し、判断し、決断し、実行することだけが重要なことだ。 それは嫌な人に対処するとき以外にも、生きていく上で対処しなければいけない状況全てについていえる。
それが「戦士の気持ち」。能動的に状況に対処する気持ち。また、自分の決断に責任をもつこと。極端に言えば、その決断が間違っていて死んだとしてもいいという覚悟を持つこと。問題に対処しようとしても、解決策が見つからない場合もある。しかし、対処する意志を持ち続けること自体が大切。
自分の被害者意識を「戦士の気持ち」に置き換えることがベストだ。ネガティブな感情をポジティブな感情で置き換えること。それは被害者意識だけでなく、ネガティブな感情に対処する一般的な対策だ。
2021/06/14
ショック療法
心は、脳の働きだと思っている。心の癖は脳の働きの癖である。脳は、安定した状態を保ち、変化しない面がある。なのでなかなか心の癖は変わらない。自分の心の癖、心の構えの中で生きているので、自分だけでは自分の心は変えられない。しかし、心に衝撃を受けることで、心の癖が変わる場合がある。
例としては、・自分と全く違う心をもった人に会う
キリスト教で言えば、キリストに会うことで心が変わる。
・生死の境を経験する
例えば、細かいことを気にする人が、生死の境を経験して、生死以外の問題は大したことがないと思うようになるとか。大病、大けが、災害、戦争、など。
こういうのは外から来る出来事で偶然の賜物だ。しかし自分で自分にショックを与えることもできる。例えば敢えて抵抗のある行動をする。その抵抗感は、心の癖から来ている。敢えて心の癖に反する行動をすれば、ショックを感じる。そのショックで心の癖が変わる。ショック療法の一つ。
例としては、
・苦手な人に、気持ちいい感じの挨拶をする
・恥ずかしいと感じることを敢えてする
・嫌な人の幸福を祈る
・恥ずかしいと感じることを敢えてする
・嫌な人の幸福を祈る
2021/04/05
2021/01/02
心の癖を変えるには他力が必要
特定の感じ方のパターンや、特定の状況に対して同じように感じてしまうこと。心の癖である。
心は、脳の働きだと思っている。心の癖は脳の働きの癖である。脳は、安定した状態を保ち、変化しない面がある。なのでなかなか心の癖は変わらない。自分の心の癖、心の構えの中で生きているので、自分だけでは自分の心は変えられない。「自力」でなく「他力」が必要といろいろな宗教で言われる。「自力」では心は変えられない。自分とは違う脳を持ち、自分とは違う心の癖を持った人に会う。すると、自分とは違う心の状態があることを知り、衝撃を受ける。それで初めて自分の心を変えることができる。
「この人を見よ」とキリスト教でいう。この人とはキリストである。他人を見ることで初めて自分を変えられる。これが、「他力」の意味ではないか。
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