キリスト教での愛は、異なる人格の間の関係としての愛。父とイエスの間にも愛の関係がある。なので、父とイエスは同一ではない。三位一体の解釈として、各位格の実体は一つで、見え方や働きが違う位格が3つあるという考えは異端とされる。
関係が重要で、その関係は異なる存在の間で成り立つという考え。
関係が重要で、その関係は異なる存在の間で成り立つという考え。
仏教での慈悲は、自分と相手が繋がっているという実感からくるのでは。縁起により各存在が関連していて独立した実体としては存在しない。その意味では世界は一つなのだという考え=諸法無我。その考えでは、自分と相手が異なる存在であるという面より、全体として一体であるという面の方が強調される。
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