2026/03/12

諸行無常と不変のもの。侘び寂び

永遠に不変のものは、普通の物質としては存在しないだろう。しかし頭の中の論理や情報としては存在する。1+1=2という論理は永遠に不変だろう。言葉も不変性がある。
キリスト教のある牧師さんが、聖書は何千年も内容が変わっていないので真実だと言っていた。自分は言葉が変わらないのは当たり前では?と思った。
諸行無常という言葉には、ネガティブな感じがある。本当は永遠に変わらないものが欲しいのに、変わってしまう。それが残念だという感じ。永遠の愛とかに憧れる気持ちがある。例えばキリスト教を信じれば、神の永遠の愛を信じることができる。
しかし逆に、常に変わるというダイナミックさがいい、という感じもある。特に、新しい考え方に触れて今までの世界の見方が変わる。その時の自分が変わる快感を感じる。
侘び寂びという言葉がある。その言葉には、移り変わることをさびしいという思いと、その儚さに美しさを感じる思いが同時にある。日本人が侘び寂びを感じるのは、四季の移り変わりがあることが大きいのでは。お花見も、花はすぐ散るから今の美しさを楽しもうという気になる。
永遠のものだけをありがたいと思う感覚とは、違う感覚と言える。そこも日本でキリスト教などの一神教が広まらない理由の一つなのでは。
不変なものと常に変化するもの。そのどちらかに惹かれる、というのも脳内で生起する感情に過ぎない。その感情や脳も死ねば無くなる、と思っている。その意味では、自分としては常に変化するという感覚の方が強い。

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