内なる声とは、自分の中の素直な気持ち。
自分にウソはつけない。ウソをつけば、きもちが悪くなる。内なる声には、抗えない。なので、内なる声に対して畏怖の念がある。聖なるものという感じがある。逆に、内なる声に従って生きているとき、せいせいする。気持ちよさを感じる。
内なる声を神だと考えれば宗教になる。キリスト教の一派であるクエーカーはそういう宗教だと思った。クエーカー教徒は内なる光という言葉を使うが、内なる声とも言っている。
反面、内なる声は単なる実感だとも思う。それに従うのは、生き方、倫理の問題だと。
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